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なが~い夏休み [ui holiday]

2011栗野の夏.jpgご、ご、ごぶさたでございます、ブログ。

ひと月も更新せずでダメですな~私。

(ツイッターでは毎日つぶやいておりましたが)

というのもパソコンを持参せず7月末日から9月初めまで

鹿児島に潜伏しておりました。

今年の夏はいつもと違う夏となりました。

皆さんもご存じの通り、3月の大震災から半年が経ち

被害にあわれた方々はほんの少しずつ前を向いて

必死に生活を立て直すべく頑張っていらっしゃることと

思います。目に見える形でお役に立てないもどかしさやら、皆さんの頑張りを見聞きする

たび胸が熱くなったりします。

しかしながら福島第一原発においては作業員の方々の懸命な働きとは裏腹に

いまだに収束はしておらず危険な状態が続いていると思われます。(←私見です)

地震が起こり爆発があったあの日、東京にも放射性物質が大量に飛来してきた日、

私はとにかく冷静に推移を見守ろう、〆切仕事を淡々とこなし、確定申告をし、

花粉症の私だけマスクをし、息子とも普段通りに公園へ遊びに行きました。

ですが、日が経つにつれ「なぜあの時息子と避難しなかったんだろう」

「なぜもっと自分で情報を収集して判断しなかったんだろう」と後悔の念で悶々もんもん…。

しばらくずっとうなだれていました。ああ、息子を少なからず被曝させてしまったと。

放射能の影響については賛否両論、政府は安全と言いますし、学者でも意見は様々。

私自身はこういう非常時には一番最悪の状況を想定して対策しておくのが良いと

今は思っています。結局後で何も無かったらそれはそれで御の字ですし。

もう二度と後悔の念でうなだれるのは嫌だと思い、時間やお金が許す限り

息子のためにできるかぎりのことをしてあげようと思っています。

もう3月11日以前の日本ではなくなってしまったのですから。

と、前置きが長かったですが、そんなわけで「疎開」しに母の古里へ行っていたわけです。

そこは栗野という町なのですが、ザ★田舎(笑)

母の両親も親戚もすでに誰もいませんが、家だけはあるので滞在することができました。

本当に自然豊かでお水も美味しくて幸せなひと時でした。

食材など物質的な安心感もあるのですが、一番は精神面で良かったと思います。

ちびすけに「砂は触っちゃダメよ」とか「雨に濡れちゃだめよ」とか云々…言わずにすむ。

公園にも行けたし、プールも行けたし、海にも行けたしね。

そんな長い夏休みを過ごして、細胞もきっと修復されて、東京へ戻って参りました。

またいろんな意味で気をつける日々の始まりです。

 

↑ 上の写真、ちょっと20世紀少年みたい、と思って(笑) 栗野小学校の滑り台です。

 

 

 

 

 

 

 

 


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