家をつくる 1 [ui house]
つらつらと私と家にまつわることを
書いていこうかと思います。
皆さんは暮らしの中で、「衣食住」のうち
どれに重きを置いていますか?
私はだんぜん「住」かな、と。
仕事柄、家にこもって黙々と作業することが多いので
住空間が大事かな、と思っています。
そしてその「住」に関してとくに、
両親の努力の恩恵をたくさん受けることができて、ありがたいな~と思うのです。
私の住まい遍歴(現在38年)を振り返ってみます。
生まれた時は大田区の中古住宅(一軒家)の借家がはじまり。
父の兄が不動産屋を営んでいたので、紹介してもらったそうです。
崖の上の高台に立っている木造2階建て。
道路から上がってくる石段の柵には、バラの蔦が絡んでいて、夏ごろはきれいでした。
大谷石の崖の上には、栗の木や竹やぶがあったのを記憶しています。
たしかこの家には、幼稚園児のころまで住んでいたかと。
そしてお次、2つ目の家。
借家のとなりの崖(山?)が造成されて、合計5軒分の宅地となり、
そのうちの一つを買ったそうです。
今でこそ閑静な住宅街となっていますが、その当時は地主さんの畑がたくさんあって、
いつのまにか農地法や相続税対策で、切り売りされていった経緯があるようです。
そういえば、懐かしい思い出は、お向かいの農家さんの肥溜めのニオイ(苦笑)
春先になると臭ったな~。
ここも崖の上に立ち、道路から直線にのびる階段は33段もありました。
↑ 写真は階段両サイドの植え込みを選定する夫
この家が、今のところいちばん長く住んだ家でしょうか。
木造3階建てのとんがり三角屋根の家です。
その当時、第一次北欧ブームとかで、北欧風の設計になっている、みたい。
工事を依頼した工務店さんのお知り合いの若手の建築士さんにお願いしたとか。
リビングも広くて、良い空間だったな~。
そのおかげで、撮影時など役に立ちました。
この家の建築中の時のことは、本当によく覚えています。
大工さんは、福田さんと村上さん。 どちらもベテランのおじさん。
とくに幼稚園児の私は、村上さんが大好きで、仕事の合間には遊んでくれて、
ピンクレディーのUFOを一緒に踊ったっけ(笑)←今思えば、邪魔ばかり
墨壺からピーンと糸を張って、パシッと木に印をつける様子に、
ワクワクしていましたよ。
この家の屋根裏部屋(3階)には、ホームステイの留学生がいたり、
猫を飼ったり、いろいろな思い出が詰まった家ですが、
ここには高校生まで住んでいました。
3軒目は、また戻って最初の借家。
地主さんが亡くなって買うことになり、古家を壊し、新しく建て直すことになりました。
この家は、うちの父の設計。
あ、申し遅れましたが、うちの父、一応、、、一級建築士の資格を持ち、
設計会社に勤めておりました。 今も現役でなにやら?
小声( いまだに資格があるのが信じがたい )
もう、母の意見も取り入れることなく、自分のやりたいように、好きなように建てたので、
ぜんぜーん素敵じゃない! ←ヒドイ娘
今ここが実家となっています。
そして4軒目は、大学生ではじめた一人暮らしの国分寺のアパート。
5軒目は、大学を卒業して舞い戻った実家のとなりの空き家、つまり、
2軒目に住んでいた家に転がり込んで、仕事場も兼ねて、一人で住みはじめました。
実家とは味噌汁の冷めない距離です。
もちろん、結婚後もずっと住んでいました。
そして、6軒目が長野です。
息子の幼稚園の園長先生にご相談したら、すぐに教えてくださって、
内覧もぜずに、大家さんに確認もせずに、あっさり決めたこの借家の一軒家。
部屋は4つしかなく、東京の家と比べると広さは3分の1に。
でも、この小さい家で過ごした3年間が大事。
小ささに慣れる!という意味で。
そして…7軒目は?
どんな家になるのでしょうか?